2009.9.19
小屋泊
前夜発2泊3日
個人
日本アルプスの山

槍ヶ岳から奥穂高岳

2009/10/03/・提出
提出者氏名:林 弘一

期間 2009/09/19~2009/09/22
目的の山域山名 槍ヶ岳から奥穂高岳 天気 快晴  晴のち曇  霧雨のち曇
登山方法1 小屋泊 登山方法2 前夜発2泊3日
目的1 個人 目的2 縦走
メンバー(氏名) 笹野 忠雄
林 弘一
交通費、食糧、
その他費用など
ひがくの湯 700円/人

(メンバー) 笹野 忠雄  林 弘一

(コースタイム) 9/19 晴 御坊13:00~22:30新穂高 鍋平 (車中泊)
9/20 快晴 鍋平5:30~7:00新穂高バスターミナル~8:00白出沢出合~9:00滝谷避難小屋9:30~11:00槍平小屋11:10~15:30槍岳山荘(小屋泊)
9/21 晴のち曇り 槍岳山荘6:15~8:45南岳小屋9:00~11:00長谷川ピークのコル11:10~12:30北穂高小屋13:30~16:30穂高岳山荘(小屋泊)
9/22 霧雨のち曇 穂高岳山荘6:00~6:40奥穂高岳7:10~7:30穂高岳山荘8:15~11:00天狗沢出合11:40~14:00新穂高バスターミナル~15:00鍋平

 山登りを始めたからには穂高へ行かねば話にならんやろ。とのことで「かがりび」へ入会したての新人2人で計画した山行でありました。1日で槍へ登って1日でキレットを越えるというメタボが気になる中年おやじにはちと酷かもという計画でした。 

 連休初日の19日の昼過ぎに出発する。吹田を過ぎる頃から名神の関ヶ原で渋滞30キロとのことで、覚悟をしながらも時間は十分あるし、あこがれの穂高への話題は尽きず、遠足前の子供状態で高校時代のクラスメートである笹野氏と高速道路をひた走った。瀬田を過ぎる頃からスピードも落ちてきて竜王から関ヶ原が渋滞ということだったので、竜王で高速を降りR8号を走ることにする。しかしここもトラック等が多くのろのろ運転で彦根で名神へ乗るまで2時間近くかかってしまった。高速だと関ヶ原まで100分と表示が出ていたので、かえって時間のロスをしてしまったようだ。
 関ヶ原を過ぎてからは渋滞もなく飛騨高山を過ぎて22時ころ新穂高に着いた。町営の無料駐車場が満車で鍋平の駐車場へ行くように指示される。ところがここも満車状態で辛くも端っこの方に何とか駐車スペースを確保する。車の中でまずはビールで乾杯し新穂高までのルートを調べたりしながら宴会をし、車の疲れとビールの睡眠薬が効いてきた頃就寝とした。

 朝4時半頃起床し、軽く食事をすませて5時半出発する。ロープーウェイ乗り場の方へ行った途中から新穂高の方へ降りる道が地図に出ているのでそれを探すことにする。現地の案内板を見ても道はなく注意深く観察しながら歩くが見つからない。4・5人の人と話をしてみてもわからないので薮こぎで降りることにする。しかし傾斜はきつく木もまばらで草を掴みながらの降下で、つかまる木が豊富にある大峰あたりの山とくらべるとかなり歩きにくい。相当苦労をしてやっと車道へたどり着いた。しかし道沿いは高い擁壁とフェンスで道へ降りる場所が無く、トンネルの口にあった管理用と思われる梯子を見つけてなんとか道へたどり着いた。あとから3名ほどの人がついてこられて、気になるのでなるべく安全そうな方向を指示しながら降りた。ちょうど運良く梯子のあるところへたどり着いたので感謝されたが、偶然そこへたどり着いただけだったのでひやひやものだった。
 新穂高へ着いたのが7時で登山届けを出して出発する。林道を快調に歩いて穂高平で小休止する。荷物を降ろして牛の写真を撮りに行くが、月面を歩いているようで体が宙へ浮き上がりそうな感覚にとらわれる。10キロほどの荷物なのに慣れていないのでこうなるのかな。荷物を担いで体を地面に落ちつかせてまた歩き始めた。白出沢出合を過ぎ滝谷避難小屋で少し早いが昼食とする。快晴で笠ヶ岳や西穂のあたりの稜線がくっきり見えて爽快な気分になる。30分ほど休憩をして出発する。樹林帯の中の緩やかな傾斜を登って行くと槍平小屋についた。このあたりの沢沿いの景色も素晴らしく紅葉が始まったらここのテント場でゆっくりしたいものだと思った。
 槍平小屋を過ぎると傾斜はだんだんきつくなりペースは落ちていった。はじめはギャルに追い越され、次はベテランにも追い越され、最後に超ベテランとは抜きつ抜かれつデッドヒートを演じた。(ちょっとなさけない。)笹野氏はさすがにワンゲル出身だけに涼しい顔をして登っていった。ここの登りで私は自分の体力の限界を知った。荷物を持ち慣れていないからか高所に慣れていないからかわからないが心肺能力の限界ではないかと思った。まあ無理をしないように立ち止まって呼吸を整えながら亀さんのように登っていった。
 槍の肩へ着いてみると人がうじゃうじゃ。小屋の前は受付の人の行列、槍の穂先は頂上から下まで人が途切れることなく並んでいる。穂先はあきらめて小屋の行列に並ぶ。1時間半ほどかかって受付を済ませた。食堂へ寝ることになったので落ち着く場所もなく階段の踊り場で座る場所を確保し、ちびりちびり飲みだす。酔うほどに幸せな気分になって壁にもたれてまどろむ。しかし、小屋の中は満員電車状態で何をするにもまず並ぶことから始まり、とにかく待つ、待つの連続。強い忍耐力が養われいい修行になった。夕食は9時頃で就寝は11時頃だった。
 
 翌日は6時15分小屋を出発し快晴のなかアルプスの絶景を楽しみながらキレットへ向かう。中岳あたりからの槍ヶ岳はいい姿だなと思った。南岳までは緩やかな傾斜でおだやかな稜線歩きは快適であった。南岳小屋で休憩後いよいよ大キレットへ入って行く。
 きつい傾斜を落石に注意しながら梯子や鎖につかまって鞍部に降りて行くとすぐ目の前に長谷川ピークが見えてきた。鞍部から長谷川ピークまではあまり印象に残っていないので特に危険そうな所はなかったように思う。長谷川ピークでは登山者がたまっていると思ったら、やせ尾根の通過が一方通行なので待っていたようだった。相手方と声を掛け合ってこちらの通過となった。20名ほどの集団で越えて行くので前の人のあとをたどっていけばいいので気楽について行けた。どちらも急傾斜で手を離せば命はないのかもと思われるような場所であったが、20m程の距離で鎖もあり落ち着いて行動すれば特に問題はない場所だった。
 難所を越えて一息つくと目の前に北穂高岳の急傾斜が待っていた。どこを登るのだろうかと思われるような傾斜であった。誰も登りにかからないので先に取り付く。登り始めてみると○印をたどって登れば以外と簡単であった。が、浮き石が多く不用意に足を滑らしたりすると落石を引き起こしそうで注意をして登っていった。下りだと難しいだろうと思われた。北会長の意見に従って槍から奥穂へ向かったのが正解だった。上部の方は浮き石も少なくなり傾斜はきついが快適な岩稜歩きでほいほい登れた。ほどなく北穂の小屋へ到着し、ここで昼食とする。
 みそ汁を作って弁当を食べ、天気は良いしおいしいコーヒーを入れて眼前に広がるアルプスの景色を目に焼き付ける。満腹になるとまぶたがゆるんできたので昼寝の時間とする。心地よい日ざしを浴びて周りの登山者の声もだんだん遠のいた・・・。
 ふと目をさますといつの間にか霧が飛騨側から上がってきていた。見ている間に飛騨側は霧に埋め尽くされ稜線をかすめて涸沢側へ流れ込み複雑に渦を巻いていた。山の気流は複雑でヘリコプターの運転も難しいことが実感された。1時間ほど寝ていたようで、昨夜の睡眠不足を少しは解消できたので出発することにする。
 笹野氏は30年ほど前に奥穂から北穂まで歩いていたのでその厳しさを知っていたらしくそのことを注意してくれていたが、キレットが終わったという安心感であまり理解できていなかった。涸沢へ降りていく道と分かれて奥穂方面へ登っていくと、登山者は急に少なくなり道を間違ったかなと不安になった。あたりは霧に巻かれて視界はきかずすぐ目の前のピークがぼんやりと見えるだけで、ここが涸沢岳のピークかと思って登ってみると何もない無名峰であり道は続いているばかりである。2つか3つか数は覚えていないほど無名峰を越えて、泣きが入ってくる頃ようやくにして涸沢岳に着いた。頂上から下は霧でよく見えないがかなりの絶壁のようであった。ここからは穏やかになった道を奥穂を目指した。すぐに小屋が見えてきて長かった岩稜歩きもやっと終わった。
 ここの小屋は受付もすぐ終わりテーブルでビールを飲みながら福井県からお越しの団塊世代風グループや大阪からきた若いカップル達と山の話で盛り上がった。笹野氏のワンゲルで鍛えた巧みな話術が役に立ったことは言うまでもない。楽しいひとときを過ごした。この小屋は蔵書も充実しておりオーナー氏の趣味が伺えるものであった。食事も生野菜や果物類があり、登山者に配慮されたいいメニューだと思った。私が宿泊した山小屋の中では1番気に入った小屋であり、また泊まりたいと思った。
 
 いよいよ最終日。4時に起きると外は霧で天気は芳しくない。5時から食事をし外を眺めるが雨を覚悟しなければならないようである。6時にカッパを着て奥穂の登り口へ向かう。薄暗い霧の中梯子の登り口で順番待ちの後ろに並ぶ。たいした待ち時間もなくすぐ登り始める。冷たい霧が飛騨側から吹き付けるなか急傾斜を登って行く。頂上の方は霧の中でどれほどの距離かよくわからない。頂上に近づいて傾斜がゆるんできたころ目の前に霧の中からぼんやりとアレが見えた。そう ジャンが。一瞬のことであとは霧の中だったが案外近いところにあるのがわかった。そこから奥穂の頂上はすぐだった。
 記念写真を撮る人の順番待ちに並び奥穂の頂上を眺める。霧の中に浮かぶ穂高大明神の鎮座する社は晴天の時よりも神々しいように思えた。しかしである、記念撮影をする人たちは、台座へ登っていくとすぐこちらへ向いてにこやかにポーズを決めシャッターを押してもらうのであるが、20人ほどの人たちの誰一人として手を会わせる人も頭を下げる人もいなかった。私はといえば清酒(1合瓶)を手に握りしめこんな場所でお参りするのはいやだなあと思いながらも2日間の道中の苦労を思えばやはりお参りしなければならないか・・・。と思案をしていた。
 順番がきて台座へ登り始めると覚悟は固まった。一礼をして清酒をお供えしお参りしたあと清酒を開封し台座の脇へ少量そっと注いだ。残りは大切に持ち帰り、家族に無病息災の霊薬として裾分けするのである。台座から降りてくると晴れやかな気分になってにっこりとポーズを決め笹野氏に写真を撮ってもらった。笹野氏もお賽銭をお供えし丁重にお参りしてくれた。こちらも晴れやかな顔を写真に撮ってあげた。
 冷たい雨が吹き付けて雨粒も大粒になってきたのでジャンダルム見学はあきらめて下山することにした。穂高岳山荘へ着いて荷物をまとめて下山の準備をしていると、なにやら外が騒がしい。と思うまもなく、登山者が肩を借りて小屋へ入ってきた。雨で滑って転倒し腰のあたりを強打したようである。しばらく休んで様子を見るようであった。たいしたことがなければいいがと思った。雨の日はやはり注意が必要だと下山を前に気を引き締めた。
 下山は白出沢の石の堆積した場所をペンキマークを頼りに下り始めた。石を石畳風に置いてくれているので割と歩きやすい。ジグザグに飽きるほど歩いた。やっと谷の口までたどり着き水音が聞こえてきた。樹林帯の中へはいるとやや歩きやすくなったが白出大滝の下流の方は新しい落石が転がっている危険地帯があり、速やかに通過するようにとの看板があった。そこを過ぎて橋を渡るところまでくるともう安全地帯で、ここで昼食にした。
 昼食後は樹林帯の中の山道になり傾斜もゆるんできて癒しの森になってきた。雨も上がってしっとりとした森の中を満ち足りた気持ちで歩いた。

 きざで言うんや無いけど、穂高よありがとう。 と素直に思えた。

 笹野氏には、良き相棒に恵まれ実り多い山行をできたことに感謝します。

 また、道中で出合い忘れ得ぬ思い出と印象を残してくれた兵庫県の2人組や滋賀県のご夫婦、文中で紹介した福井県や大阪府の方々に、またいつか山で会えることを願ってます。

                              ( 以上 林 記 )

(  笹野氏からのメッセージ )

 林氏の誘いを受けて32年ぶりに穂高のキレットに挑戦できました。若い頃二度。一度は雨のために、もう一度は体調を崩して断念しているので今回が三度目の挑戦でした。山小屋に2泊で槍・穂はきついかなと思っていました。行ってみて連休の人の多さとコースの長さに、気力・体力ともいっぱいいっぱいでしたが、何とか予定通り行くことができて良かったです。
 天気は初日 快晴、二日目 晴れのち曇り、三日目 霧と小雨とまずまずでした。槍ヶ岳の姿を久々に見て感動しました。数年前までは槍の穂先を目の前で見るとは思いもしなかったので本当にうれしかった。
 32年前も奥穂ではガスがかかり今回もガスで頂上からの景色を見られなかったのが残念でした。今度はもう少し楽な日程で快晴の奥穂の大パノラマを見たいものです。
 「もう少し 体力があったらなあ」とつくづく感じました。反面ここまで登れたことで自分をほめてやりたい気分にもなりました。最終日に穂高山荘をあとにするとき「穂高よさらば また来る日まで・・・」の歌詞を思い出しながら白出沢を下りました。

相棒に恵まれて楽しい山行でした。

登山を再開して二年目 「ぼちぼちいこか」の精神でがんばりたいと思います。

                             ( 以上 笹野 記 )

(写真について)
 穂高の番人も穏やかな天気のなか 昼寝をされていました。
 登山者は我々と関係のない人です。

概念図