<9月19日>
Kiki邸15時スタート、現地の芦安駐車場に10時ごろ到着
Hideさんから借りたワンタッチテントで、仮眠しました。
<9月20日>
芦安駐車場で計画書提出後、5時15分発のバスで広河原に向け出発、
広河原6時40分ごろにいざ登山開始です。
大樺沢の道が通行止めになので、白根御池コースを登る。(8時48分到着:急登で30分ぐらい余分にかかった。)
二股経由で大樺沢に合流し、バットレス取付きへ向かった。
バットレス沢から入るつもりが、D沢合流地点より上部まで登ってしまい、迷ったことに気付いた。
バットレス沢まで引き返し、バットレス沢とC沢の中間稜を下部岸壁のBガリー大滝に向け登った。
踏みあとを探しながら、約40分でBガリー大滝に到着。(60分ぐらい余分にかかった。)
次の写真は、ネットから取得したもので今後の参考としたい。
この時点で、Kikiの体力が消耗し、かなりペースダウンしたことは否めない。
ロープをYUに持ってもらった。(多分60分ぐらいロス)
Bガリー大滝から下部岸壁の登攀スタート
(12時58分:登山靴でクライミング)
・1P Kiki 3級程度のスラブをクラック沿いにクライミング(20m)
・2P YU 草付きスラブを大胆に登るが、かなり右よりにルートをとってしまいビレイ支点をとれずピンチになった。最終的に立ち木へビレイし難をのがれた。(45m)
・3P Kiki 正規のルートに向け左にトラバース(20m)
・4P Kiki 簡単なスラブを登り登攀終了(40m)
ロープを解き、フィックスロープをくぐり、横断バンドを右にC沢に向け出発
C沢は、崩壊がすすみ落石と滑落を注意し渡る。
C沢の右岸を「4」の字が書かれた岩を目印に少し登ったところのスラブを登ると、4尾根の取付きに
出る。(安全のためロープを出した。(15m)
第4尾根の取付きに到着(15時40分ごろ)
本日は、ここでビバークと決める。
<9月20日>
夜明けとともにいよいよ第4尾根スタート(5時30分)
・1P Kiki クラックにクライミングシューズをかませ登る。(20m4級✙)
・2P YU スラブ(40m3級)
・3P Kiki 階段状の岩場(40m3級)
・ 4P YU 快適なクラック(40m3級)高度感が増してくる。
・ 5P Kiki リッジ(30m3級)
・6P YU 三角形の垂壁からマッチ箱のコルへのリッジを思いっきりよくクライミング(30m4級+)
・7P Kiki マッチ箱のコルの先端へ(5m2級)
・8P Kiki 懸垂下降、安全のため片方のロープでビレイをする。(20m)
・9P YU 右コーナーからカンテ状のクラック、カンテ(40m4級から3級)
・10P Kiki 枯れ木テラスへ(10m3級)
・11P Kiki 枯れ木テラスからナイフリッジをトラバース、高度感抜群(20m4級+)
・12P YU 城塞ハング、2010年の崩落のため最終ピッチが変わった。パワーのいるピッチ(20m4級+)
登攀終了(10時30分)
北岳の稜線へ、あえぎながら登り登頂成功!(11時20分)
急いで下山開始、北岳肩の小屋に立ち寄り水を補給したあと休憩なしで下山した。
昨日の夜から今日の昼までろくなものを食べていなかったうえに、水分補給も少しだけの状態でKikiの老体は悲鳴をあげていた。
古い登山靴が壊れ足の動きが鈍くなったので、最後は、荷物をYUに持ってもらい何とか下山し最終バスに乗れた。(16時28分)
温泉で汗をながし、肉を食べ、力を付けて和歌山に帰った。
多分、得たことはYUの方が多かったと思います。
反省することは、Kikiの方にいっぱいです。
<Kiki>
・久しぶりの3,000m、体力の衰えは否めませんでした。
・前回の記憶を信じたがゆえに、取付きへのアプローチで迷ってしまいました。(2回目が一番危ない。)
・愛用の登山靴のビブラムソールがはがれ、ガムテープで応急処置をしたが、下山までもたなかった。
<YU>
・本番デビューで、十分に力を発揮しました。
・ルートファインディングや支点の状況などゲレンデと本番の違いを感じとれたと思います。
・ビバークを体験して、不安な局面でも平常心を保つ感覚を身につけられたと思います。
・マルチピッチを繰り返すごとに、クライミング技術の向上を感じました。たのもしい。
・重い荷物を担いでもらって、ありがとう!
〇お天気に恵まれ、ビバーク中は、雲海の上に浮かぶ鳳凰三山や富士山、それに八ヶ岳を見ることができました。
少し寒かったけど、満月のあかりや朝日も見事、すべてが絶景でした。
食べ物は、行動食をかじり、少しの水でのどを潤しました。
ビバーク中の山の話は、楽しかったね。
〇今回は、準備段階でコロナ対策による白根御池小屋の休業、台風接近で南アルプス林道が閉鎖、大樺沢沿いの登山道の閉鎖などを乗り越えての登山でした。