2021年09月29日(水)・提出
期間 | 2021年09月25日(土)~2021年09月26日(日) | |||||||||
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目的の山域山名 | 新潟焼山 | |||||||||
登山方法1 | 日帰り | 登山方法2 | 前夜発日帰り | |||||||
目的1 | 個人 | 目的2 | 縦走 | |||||||
記録 | ||||||||||
天候:雨
14年間思い続けた焼山へやっと行くことができました。この山へ行くきっかけとなったI氏の文章をまず紹介したいと思います。 『 長年、気になる山があった。いつかは登りたいと思いつつ30余年が経ってしまった。そこは長野と新潟の県境で、妙高、火打、焼山の西方にある金山(かなやま・2245m)。 昭和49年7月28日未明に焼山(2400m)が突然、噴火した。前日に山頂付近でテントを張った、1学年下の造園学科3年の3名が巻き添えとなる。このうちの1人とは何回か山に行った。 焼山からはもくもくと噴煙があがり、周りの樹林は火山灰で白くなっていた。ヘリが近づけないため、人力で遺体を下ろすことになった。私は途中から加わった。毛布に包まれた遺体を手作りの担架に乗せて沢沿いに下るが登山道が狭くて難儀した。それに、死後1週間が経ち、死臭が体に染みついた。 ふと見上げると、きれいな緑の稜線が目に焼き付いた。地図で確認すると、天狗原山から金山の稜線あたりか。焼山とは対照的に穏やかな稜線が印象に残った。 林道下の川原で3名を囲んで検視が始まった。毛布を取ると想像を絶する姿にショックを覚えた。・・・・ そんな変わり果てた息子を抱く母親の姿に胸が詰まった。 事故以来、焼山は入山禁止が続いている。その後、積雪期に周辺の山から焼山を見ると、相変わらず煙が上がり、地肌が露出して黒々としていた。対照的に、金山あたりは真っ白な稜線で、ますます魅力的な存在となった。 昨年(平成18年)8月に念願の金山に登った。樹林帯を抜けて天狗原山に近づくと、シナノキンバイやミヤマキンポウゲの咲く明るい草原に変わる。金山の手前の湿原には、雪解けのところからハクサンコザクラの群落が花盛りだった。彼らのメモによると、亡くなる前日に金山に登っている。植物好きの彼らのこと、きっと同じ場所で花に感動したものと想像する。間近に焼山が見え。黒々とした印象とは異なり、山肌が緑で覆われている。噴煙も見られず、なんと穏やかな山になったことか。担架で降ろした沢と、その先の検視場所まで見渡せる。あの時見上げた稜線に32年経って来ることができた。 遭難から数年後に、周辺の山から撮った焼山の写真を静岡の御実家に送り、丁重なお礼の手紙を頂いた。 彼のお母さんはご健在だろうか。』
以下は私とのかかわりです。 今から47年前のこの年に入学しましたので当時のことはよく覚えています。この日は私は渓流釣り部の夏合宿で早池峰山の閉伊川へ行ってたので噴火のことは知らず、実家へ帰省して初めて知りました。3名の先輩方とは直接の面識はありませんでしたが、新入生歓迎会で同じ場所にいたのではないかと思います。 そしてI氏の文章を読んで14年目にしてこの山域へ登ることができました。 (行動記録) 9月25日の夜11時頃 金山登山口に着き車中泊をするが、夜中から雨が降り出し3回ほど雷鳴も轟いた。4時半に目覚ましで起きると雷はおさまったようだが雨は降っている。明るくなるまで様子を見ようとウトウトとする。明るくなってきても雨はやまないので食事をしてコーヒーを飲みながらどうしようかと思案する。雨が少し小降りになってきたので登山道の様子を見に行く。草が刈りこまれて整備された道だし少し雲が薄くなってきたようなので登ろうかという気になった。合羽を着て出発する。 初めはブナの巨木の森を折り返しながら登って行く。途中から右側が切れ落ちたやせ尾根をのぼるが雨と霧で何も見えないが、下山時には霧が薄れて妙高から戸隠のあたりの眺望がいい場所のようだった。急坂を登ったところが天狗原山。傾斜の緩やかな頂上部は低木とお花畑の庭園のような趣。それが金山まで広がっている。そして右前方に山頂部がごつごつとした焼山。 樹林帯から草原へ出ると雨と風でかなり寒い。靴の中は水浸しだし手がかじかんでしまった。金山の頂上で先輩方に挨拶をして 花を供えて 折り返すことにした。 下山しながら考えた。雨で登山を中止しようと思っていた時に雨が止んだこと。でも登り始めると雨が降り出しほぼずっと雨。これで誰も登山者がこない状態になった。雨と霧で周りの景色も見えないし紅葉も鮮やかには見せてくれなかった。でも頂上の庭園の素晴らしさは想像できた。 『また遊びに来なさい』 という先輩方の作戦かなと思った次第でした。 違う時期に是非とも訪れたいと思いました。 (追記) いろいろ調べていると、先輩方は植物調査のためにこの山域へ入られていたようでした。 先輩方そして私も入っていた造園学科には4つの研究室があり、私が所属していたのが造園学原論および風景計画研究室でした。造園と言えば庭園から都市公園が一般的ですが、国立公園・国定公園・県立自然公園のような人間が作ったものではない自然のままの素晴らしい場所を公園と定めて保護し、登山・ハイキング等で楽しめるように整備しています。これも造園の領域に入っていて、風景研究室がそれにあたります。植物調査のために入山していたということから、もしかしたら先輩方も同じ研究室だったのではと想像しています。当時私も山登りをしていてその魅力に取りつかれていたら人生も違ったものになっていたと思います。 山あるいは谷そして植物の多様な生態は絶妙なバランスの上に成り立ち、飽きることのない素晴らしい景観を作り出しています。どのような景色を見ても破綻してないデザインですし、同じものがないというのも不思議な所です。私達が普段生活している街は直線的なデザインに囲まれています。ところが自然界には直線は見当たりません。曲率の違う曲線の連続です。これが柔らかさを醸し出し、我々に安らぎを与えてくれる要因になっていると私は考えています。 それにしてもです。そのような素晴らしい自然なのにどうしてこのような理不尽なことが起きてしまったのか。 20歳そこそこで人生を終えてしまわなければならなかったということに・・・なぐさめるどのような言葉も浮かばない。 ただ私にできることは 生かされている有難さをかみしめ、1日1日を大切に生きること。 そして、時々先輩方に会いにこの山域へ登ろうと思う。
概念図
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交通費、食糧、その他費用など | ||||||||||