2009年09月27日(日)・提出
期間 | 2009年09月05日(土)~2009年09月06日(日) | ||
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目的の山域山名 | 大峰 山上から行者還、弥山 | ||
登山方法1 | 小屋泊 | 登山方法2 | 1泊2日 |
目的1 | 個人 | 目的2 | 縦走 |
記録 | |||
天候:晴れ
山ちゃんとか~せさんが大峰の山上ケ岳から縦走するという。大峰の奥駈道は縦走すると車二台でないと動きが取れないのでB隊が関電巡視路を上がり、行者還小屋で合流して一泊し弥山から鉄山に歩くことに決まった。 山ちゃんたちは女人禁制の山上さんから朝8時ごろ出発予定。しん、私、さなえ、とん、の四人はゆっくり和歌山を出発し途中で買出し、お昼ごろ大川口を出発する。 関電巡視路を登ることにするが、この道はもう関電の鉄塔も撤去され、道が荒れている。登り口の吊橋もいきなり切れているところもある。でも途中の鉄塔の撤去あとにはススキが咲き、明日下山する弥山から鉄山も良く見える。6年ほど前に歩いたときも悪かった。案の定、桟道は朽ちて、もう通れないのもある。お助け紐を出したところもあった。 途中から行者還岳の少し傾いたピークが良く見えた。地図ではまだ破線で載っているが、もし夕方下山に使おうなどと思ったら大変だ。かなり慣れた方でないとすんなりといかない。下手すると転落の危険もあると思う。 まむしに遭遇し、みんなで固まってしまった。そして行者小屋に到着したら、大きなスズメバチの巣もあった。 行者小屋には一番乗り、あとから四国のご夫婦(熊を見かけたと言われ、固まってしまったらしい)と、東京から来られて単独の方、そしてもうお一人と私達だ。部屋は二階と下に二つあるが、一番広い部屋を使わせていただき、夕食の段取りをする。 今回もシェフさなえ特製のキムチ鍋、材料も用意できたが、お鍋が山ちゃんのザックなので到着するまで一休み。多分疲れきってくるだろうとしんが迎えにいった。疲れて到着した二人を交え、美味しい夕食にありついた。 翌日は奥駈道を弥山まで歩き、そこから昔の地図には載っているが今は廃道となっている鉄山まで尾根を下る。山ちゃんは下から前に道を探して登ってきているので、私がおねだりしてこの道を案内してもらう。 でも下山は一つ尾根を間違うと大変なので地図と磁石で確かめながら、慎重に降りるが、白骨林の倒木を避けながら歩くのは大変だった。でも所々に残っているテープを捜しながら降りる。下から上がってこられた人が一人、お互いにびっくりする。やはり変わった人がいるものだ。 山ちゃんはこういう道を一人で探して歩くのが好きなようだが、こんな白骨林で、白骨化したら、見つけてもらえないよと脅かした。 鉄山に出た頃にはみんなも疲れが出、お腹が空いたやら、暑いやらぼやきが出始めた。でもここからはきちっとした登山道、といっても痩せ尾根の歩きにくい道が大川口まで続いた。結局9時間半の行動となる。 弥山の山肌の崩壊が激しくその土砂が下の川迫川のダムを殆ど埋め尽くしているのがすごく怖い。道より高く土砂が詰まれ、ダンプで運び出しているらしいが、追いつかないのが現状のようだ。大雨が降ればダムを乗り越えるのではないだろうか?知らない地図にない道に満足したが、もう一回登れと言われたら、みんないやだ~と言うのが本音・・・。 今回あまりに地図が古くなったので新しいのを購入したが、今回は古い地図のほうが廃道が載っていた。地図は古いのも保存しておくべき。そして25000の地図も必携だ。 洞川温泉に入り、今回はおばさん三人のたっての希望のあまごの定食を食べ、満足して帰路に着く。 コースタイム 9/5(土) 晴れ 「 小屋への途中、梯子で足をくじき大変皆様にはご迷惑をおかけしたことを反省しております。とにかく久しぶりの山行でバテました。 次回までには今少し体力を整えて、また焼酎担いで参加したいと思います。 か~せ」 9/5(土)B隊関電道 9/6(日) 五番関にヤマツネ号を取りに行き、洞川温泉入浴後、帰路に付く。 概念図
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交通費、食糧、その他費用など | |||
交通費2000円、食料400円 |